京都 島原

島原の正式地名は「西新屋敷」でありますが、官命により、寛永18年(1641)に前身にあたる六条三筋町から移され、その移転騒動が「あたかも島原の乱の如し」と流布したことにより、「島原」と呼ばれるようになりました。
島原では、宴席の揚屋や茶屋と、太夫や芸妓を抱える置屋とに分かれる営業形態をとり、吉原などのいわゆる「遊廓」は自ら娼妓を抱えて営業を行います。島原の営業形態は現在の祇園などと同じです。したがって、島原は「いわゆる遊郭」の町でなく、「花街」というべき町であり、江戸中期には俳壇ができるなど京都文化の中心的役割を果たしていました。
島原では、宴席の揚屋や茶屋と、太夫や芸妓を抱える置屋とに分かれる営業形態をとり、吉原などのいわゆる「遊廓」は自ら娼妓を抱えて営業を行います。島原の営業形態は現在の祇園などと同じです。したがって、島原は「いわゆる遊郭」の町でなく、「花街」というべき町であり、江戸中期には俳壇ができるなど京都文化の中心的役割を果たしていました。
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角屋
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輪違屋
02輪違屋は、太夫や芸妓をかかえていた由緒ある置屋で、元禄年間(1688~1704)の創業と伝えられています。現在の建物は、安政四年(1857)に再建されたといわれていますが、その後の増改築で明治四年(1871)にはほぼ現在の姿になりました。一階南半分の居室部分と、一階北半分及び 二階の客室部分からなります。中でも 二階の傘の間と紅葉の間が、主要な座敷で、襖や壁の斬新な意匠は素晴らしい と言われています。輪違屋は、 建築的に質が高く、また、古い置屋の遺構として 非常に貴重です。昭和59年6月1日に京都市指定有形文化財に指定されました。
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島原大門
03島原大門は、京都の花街である島原の東入口にある高麗門形式の大門で、京都市の登録有形文化財です。
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